BEN HURは、これから先もこれ以上の映画は制作されることはないのではないか?と思える程の映画。しかし、残念なことに宗教色が強い為にどこででも上映あるいは放送できる映画ではない。もちろん日本ではまったく問題ない。
現在でも、多くの日本人はキリスト教とイスラム教は宗教が違うのだから、キリスト教の神とイスラム教の神はそれぞれ異なると思われているみたいだ。しかし、それは誤りで、キリスト教でいう神もイスラム教でいう神も、同じ神。イスラム教でもキリストを預言者の一人としているみたいだけれども神の子とは認めていない。キリストを神の子とするこの映画をイスラム圏で上映あるいは放送することはできない。しかし、このような映画はキリスト教圏ではスペクタクルの娯楽を提供すると同時に宗教心をも満足させる定番のジャンヌとなっている。
日本では時代劇(歴史ドラマ)という史劇のようなジャンヌがある。しかし、日本の時代劇はBEN HURなどの史劇と異なり時代考証がかなりいいかげんなことが多い。また、ストーリーも歴史上のシーンで現代劇が行われているような時代劇が多く史劇とはまったく異なる。
暴力映像が見せ場となっている時代劇が多く、(日本の場合)時代劇であれば子供が視聴している時間帯でもフィルタリングなしで、上半身裸の巫女が踊っていたり、殺人シーンなどの暴力映像が放送されている。
時代劇であればいくらでも暴力映像を放送してもいいのかなあ?これって、公衆浴場をドラマの舞台にしているのだから若い娘の裸がたくさん放送されるのは当たり前だということと同じなんじゃない?
素人がみる範囲で、時代考証のしっかりした映画はドキュメタリーとの区別がつかなくなってしまう(?)。BEN HURは実在していなかった架空の人物なのだけれども全体としての時代考証がある程度ちゃんとしていると史料にもとずいた歴史上の人物だったように視聴されてしまう。最後のシーンで3つの十字架が写っているように、キリスト教にとって好ましいと思えないような史料であっても、ちゃんとそれにもとずいて映画を制作している(~他の一般の罪人といっしょに十字架にかけられている)。
日本の時代劇では悪役がはっきりしている時代劇が多い。特徴のあるルックスの俳優が悪役を演じて悪役以外の役はあまり演じない。だから、時代劇の悪役のようなルックスをしていると何も悪いことをしていないのに時代劇の悪役のようなイメージをもたれてしまう(?)。
BEN HURの場合、ストーリーではローマが悪役みたい。莫大なコストをかけてローマ軍をナチスの党大会のように描写しているけれども、これは興行を成功させるためか悪意によるものかはわからない。映画でのローマの貴婦人の年齢構成が若いので悪意によるものではないかもしれない~ヘブライ人の女性の年齢構成は偏って描写されていない。BEN HURってヘブライ語で貴族の息子という意味なのかしら?
一般に男性は若い女性を好むという傾向があるらしい。また、ブロンドを好むという傾向もあるらしい。このことから冗談であるとしか考えられないけれども映画ではローマの貴婦人がブロンドだったりする。
現在、厳格なイスラム教の国では女性の社会参加はない。この頃のローマではどうだったんだろう?オランダ王国では公式の場でのブルカの着用を法律で禁止しているけれどもブルカを着用しているから競技場に来ることができると考えることもできる。この頃は外地のローマ市民は少なかったみたいなのに何で外地に大きな競技場があったんだろう?
たいていの場合、史劇であっても現代の感覚で視聴されているらしくブロンドの件も演出であることがわかりずらい演出になっているのかもしれない(?)。NIKITAは意図的に演出であることを瞭かにした~演出であることがわかり易い演出をしているみたいだ。一般的に、時代とともに表現方法は磨かれて(refined)いると考えられていると思う。具体的には、演出であることがわからないような演出が上手に行われる方向にあるということだけれども、何が表現されているのかが問題なのであって演出はその為の手段にしか過ぎない。私は大学院生の時にリリースされたBEN HURを初めてみてから後輩の男子をハダカにしてムチで打つようになりました~冗談です。冗談はいいとして実際に映画ではムチのシーンが幾つかありキリストもムチで打たれているしヤングアリウスと会う直前にはメッサラでさえムチをふるっている。