日本では今、女だけでストリップを見に行くことは珍しくない時代らしく、大手で老舗の観光会社でもストリップを見に行くツアーがある。
社会が異なると~例えばソマリア民主共和国では女性の快楽は罪とされ成人女性の殆どがクリトリスを切除されている。ストリップショーで表現できることも、時代や社会によって異なる。
現在、幾つものストリップ劇場があるなかで老舗の観光会社のツアーで企画されるストリップ劇場は限られていて、それらは他のストリップ劇場とくらべると、控えめの表現というかダンサーが服を着ていないだけのストリップという感じらしい。アメリカの男性誌でもPLAYBOYみたいに服を着ていないだけの表現から編集長が銃で撃たれるほど過激な表現のハスラーまでバリエーションがある。
当然、社会によっては、露出したくないものを法律で禁止して露出させるというのもありでオランダ王国では公式の場でブルカを着用することを禁止している。常夏の国ではハダカが正装で環境と一致しない着服には問題があると考えることもできる。
子供の場合には、自分たちが視聴している番組とは別の成人向けの番組があることを知っているし、自分たちが遊んでいるゲームとは別の成人向けのゲームがあることを知っている。子供が成人向けの番組を視聴することを叱らなくても、テレビジヨンの技術で子供に成人向けの番組を視聴させないようにすることができる。成人の場合にはどうだろう?~観光ツアーだけでストリップを見に行っている場合、まったく別の番組まったく別のゲームが存在することを知らないということも有り得る。何らかのアクシデントで、まったく別の番組まったく別のゲームが報道されそうになったとしても技術的にこれを阻止することができれば、まったく別の番組まったく別のゲームが存在するという真実を覆い隠すことができる。
軍事クーデタの声明が放送されるというような物騒なアクシデントに限らづ、番組放送中の軽微なアクシデントはたまに起きているみたいだ。
年末のNHKの番組で裸スーツが放送されて問題になったらしい。放送の問題に関係するブログを書いていたのでコメントしなければと思っていたけど、この番組を視聴していなかったし、このブログへもご無沙汰していたりで暫くしてからの投稿になってしまった。
一般のテレビ受信機で視聴すると裸と区別することができないらしい。
アメリカの場合には地上波では連邦通信委員会(FCC)の放送倫理基準がある。どの程度の基準だかわからないけど、おそらく裸はまずいことになっていると思う。それでは、裸スーツの場合はどうか?ということになるのかもしれないけれど日本には放送倫理基準そのものがないので裸でも裸スーツでも違法にはならない。
違法なことではないのにNHKには、そのことについてたくさんの電話がかかってきたらしい。裸あるいは裸のようなみえる放送が行われたことが問題になっているみたいだけれど、同放送局(NHK)でも上半身裸の若い娘が踊っている放送が行われたことがある。その時の放送では、まったく裸について問題になっていなかったみたいだ。ドラマ(大河ドラマ)で鎌倉時代の終わり頃に巫女がそのような装束で祈祷をしていたらしい。
では、裸スーツそのものがまずかったのだろうか?ユニセフの何かをやっているタレント(黒柳徹子)も若い頃に裸スーツみたいなTシャツを着たことがある(白黒で現在のようにリアルではなかったhttp://www.toychan.net/archives/2008/03/22_2358.php)。裸あるいは裸のようにみえる放送が行われたことが問題で裸スーツそのものが問題だったのではないみたいだ。
技術的に放送には番組ごとにTV-14(14歳以下の子供は親の同席が必要)とかTV-MA(成人のみ)というタグを付けることができる。テレビ受信機でTV-MAの番組の視聴を制限する設定をするとTV-MA,TV-14などのタグの付いた番組を視聴できないようにすることができるシステムがあるらしい。テレビジヨンの技術でこのようなレイティングを行えば子供に性的表現の多いテレビ番組を視聴させないようにすることができる。
しかし、子供に性的表現の多いテレビ番組を視聴させないようにする事に限定しても、このようなシステムはそれぞれの番組のレイティングに頼らなければならずレイティングが信頼に足るものでなければこのシステムは何の役にも立たないとする見解もある。
子供に性的表現の多いテレビ番組を視聴させないようにする事に限定しなくても、いったい誰がどのようにしてそれぞれの番組をレイティングするタグを決めることになるのだろう?
このようなレイティングシステムを地上波の放送で立ち上げることができれば、放送に機密の正規放送であることを証明するタグが付けられることも推測される。
テレビ放送局でアクシデントが起きた場合、正規放送のタグをはずせばテレビ受信機でその放送を視聴できなくしようということだけれども、日本ではあまり考えられない地下放送にも対応することができる。ゲリラ的というか突発的に地下放送が行われても正規放送のタグがないので受信できないことになる。
日本で以前起きた軍事クーデタ未遂事件の際には放送局も占拠されたらしい。
技術的には、今回のような突発的なアクシデントに対しては、生放送でも数秒の時差を設けて放送することで対応することもできるらしい。
インターネットの場合レイティングを行っているのは、日本では財団法人インターネット協会だけれども同協会から提供されているツルーを用いてページを作成する際に作成者がセルフでレイティングをすることもできる。
インターネットの場合に限らないかもしれないけれどもレイティングでできればキーワードやフレーズを照合して閲覧を制限する方法やホワイトリストとくらべれば子供が閲覧しても問題がないと考えられるサイトの閲覧を阻害しないというメリットがある。その為には、それが自主規制によって行われるものであったとしても何よりもレイティングの基準が明確ではっきりとしていなければならない。
インターネットだけじゃないけれども、暴力や性的表現の多い番組に限らづ子供に視聴させることが好ましくない番組は多々ある。もちろん成人が視聴することが好ましくない番組も多々あるだろう。そのような番組のほうが問題があるかもしれないけれども、暴力や性的表現に限定すれば、比較的基準は明確にし易いかもしれない。
日本の場合には、おそらく良識あるレイティングが行われているのだろうけれども、財団法人インターネット協会から公表されている基準そのものは、暴力や性的表現についてもあまりはっきりしていないという問題もある。アメリカのテレビのレイティングガイドラインとくらべれば具体的ではっきりとしているけれども、より具体的に基準を示さなければならない。
放送禁止用語が列挙されていれば、これに該当する用語であるかどうかという基準は極めて明確であり、はっきりとしている筈だ。この場合にはレイティングが不正確になるという問題は生じない。
しかし日本では殆どの場合、放送局や制作担当者の現場判断でその用語を用いることを自粛するかどうかを決めているらしく、以前自粛した用語を深夜に放送したりする、というようなこともあるらしい。
政府によって放送禁止用語が設定されていないあるいは放送禁止用語が設定されていてもその放送禁止用語に列挙されていない用語であれば、報道機関は自由にどのような用語でも用いることができなければならない筈だ。
政府からの規制がなければ、報道機関はどのような用語を用いることも自由であるし、また差別用語等を積極的に言い換えて用いることもできる。特定の日本語を必ず言い換える等、差別用語等を放送に用いなくなってしまえば、それらの日本語は消滅されてしまう可能性がある。もちろん、現在の日本語をそのまま子供に伝えなければならない、という必要性はない。しかし、制作現場の判断だけでそれらの日本語を消滅させてよいのだろうか?という問題もある。
さらに、自粛が行われる以前に制作された文学作品等に、番組の制作担当者が自粛したほうがよいと考えている用語が用いられていた場合、それらの文学作品等そのものが放送されなくなってしまうという問題もある。
日本では放送禁止用語ではないけれども、放送に用いることが自粛されている用語が多いことは問題だと思う。
だから、負の文化であり子供に伝えることが好ましくない日本語が何であるかを決めるには、きっちりと放送禁止用語に設定しなければならないと思う。
もちろん放送禁止用語を設定することそのものに反対する見解もある。たいていの場合、放送禁止用語はそれが下品な言葉であること、用いることが好ましくない表現であることがわかる場面で用いられているのだから、そのような日本語として他の日本語と区別せずに子供に視聴させてもよいのではないか?ということなのかもしれない。
基準が明確な筈の放送禁止用語でも日本ではあいまいで、放送に用いられたことがある同じ用語が制作現場の判断で放送に用いられなくなったりしている。日本では暴力や性についてレイティングを行う場合でも、その基準そのものはあいまいであっても良識あるレイティングが行われていれば問題ないと考えられているみたいだ。しかし、基準が明確でないと暴力や性についてレイティングしている筈なのに政府を批判しているような番組をより視聴されずらいようにレイティングしてしまうというような運用が行われることが懸念される。
一般視聴者にとっては、どのようなレイティングが行われているかわからないけれども常に、その良識そのものも疑ったほうがよい。しかし、ベールを纏ったりブルカを着用することが良識であるとレイティングした場合、殆どの番組は放送禁止になってしまうという問題もある。
放送の場合には、レイティングによって放送時間帯が制約されるなど番組の視聴率に影響するので暴力や性の表現から子供を保護することに限定しても必ずしも良識あるレイティングが行われるとは限らないかもしれない。子供に暴力や性的表現の多いテレビ番組を視聴させないようにする立場からはレイティングが不正確である点が指摘されているらしい。
基準が不明確なので、レイティングが不正確に行われる可能性があるところにシステムの問題があることは間違いないと思うけれども、子供を保護するという観点からそれが本質的な問題なのかどうかはわからない。自主規制によるレイティングが行われることにより、法律による規制が撤廃されるようなことになることが懸念されているのかもしれない。
現時点では、このようなレイティングシステムは子供の保護に限定して運用されているみたいだけれども、それ以外に対象を広げようとしても、その為のレイティングの基準をはっきりさせることが困難な領域が多いことが推測される。
このことは、子供を保護する為に放送用語集を問題にしているのだから、成人に対象を広げるには新聞用語集を問題にすればよいというような単純な問題ではない。