日本の城というと天守閣を思い浮かべる人が多いみたいだけれど、実は天守閣は城の一角に過ぎないらしい。
おそらく鶴ヶ城などでも城下町に人工的な土塁や馬の習性を利用した馬の進行を妨げる空堀が存在したと推測される。城郭も本丸・二の丸・三の丸があることは知られているが、三の丸が陥落しても二の丸、二の丸が陥落しても本丸、そして姫路城なんかは本丸に侵入されても本丸に隠し部屋があって、できるだけ持ちこたえることができるような設計になっているらしい。
このように城郭だけでなく、堀などで広域にわたって防衛線を設計することを総構(そうがまえ)あるいは総郭(そうぐるわ)と言うらしい。
日本の城がこのような構造なので、可動式の櫓(やぐら)やスロープのような城攻めの方法が発達しなかったのかもしれない。城が城壁の内側ということであれば、どんなに高い石の城壁であったとしてもローマ軍が行ったように城壁の前に土を盛り上げてスロープをつくり容易に城壁を越えることができるようにすれば城は陥落ということになるのだろう。
白村江の戦い(663年)や元寇を経験しているので少なくともカタパルト(投石器・大砲)の存在は知っていた筈なのだが、なぜだかわからないけれど日本では城攻めの方法としてカタパルトが発達しなかったみたいだ。野戦では関ヶ原の戦いで大砲が一門用いられていた記録があるらしい。
ヨーロッパでは12世紀には梃(てこ)と錘(おもり)を用いた高さ20メートル以上の投石器が城攻めに用いられていたらしい。この為に城の建造には投石器への対策が必要となり何重にも厚い城壁をはりめぐらせるようになったらしい。13世紀に建造されたこのような中東の城は十字軍の投石器の攻撃に耐えたらしい。
その後、火薬を用いた大砲が発達すると、同等の投石器とくらべて速射性が優れただけではなく、より大きな砲弾を発射することができるようになったみたいで15世紀にオスマントルコがコンスタンティノーブル(場所は現在のイスタンブル)を攻めた際には重さ200キログラム以上の砲弾を用いて城壁そのものを破壊することができたらしい。
重さ200キログラム以上の砲弾の大砲は特殊な大砲だったらしいけれども、さらにその後は城郭の壁の厚さが薄くなっていく~それまではヨーロッパでも3メートル以上の厚さの城郭の壁があった。そして城が森のなかに建造されるようになった感じがする。サンクトペテルブルグは沼地だったらしいけれども、その森がシャンボール城のように湿原の多い森で、城を建造する場所だけ地盤を整備していたりすると、ひょっとするとそれは大砲やカタパルトを運搬できないような天然の地形を利用した防衛方法であった可能性もあるかもしれない。
現代兵器も森の中では威力を十分に発揮できないのかもしれない。ベトナムには森(ジャングル)が多い。今の大統領になってから軍事予算は縮小傾向にある。大統領がかわりベトナムの予算が大幅に削減されたことでガタガタになってしまいサイゴン(ベトナム共和国の首都)が陥落した、といった見解もあったような。