文化と文明を区別すれば文明のレベルはある程度客観的に比較することができる。戦争をしていれば、どちらの文明のレベルが高いかの目安にすることができる。基本的に37mm砲を搭載した戦車が45mm砲を搭載した戦車に勝つことは難しい。口径や装甲の厚さにもっと大きな差があれば、まったく勝負にならないだろう。日本の70mm砲を搭載した戦車のエンジンはドイツ製だったらしい。
日本では明治時代(19世紀)以来、西洋の文明を積極的に導入してきた経緯があり、殆どの日本人は東洋よりも文明のレベルはずっと西洋のほうが高かったと思っているいるみたいだ。
しかし、おそらくそれは誤りだと思う。すくなくとも十字軍の頃には西洋と東洋の文明は拮抗していたし、それ以前は東洋の文明のほうがレベルが高かったと思う。
すくなくとも十字軍の頃には西洋と東洋の文明は拮抗していた~のすくなくともというのは基本的にその頃は東洋のほうが先進国であったということだけれども、第1回の十字軍はエルサレムを奪還し現在のイスラエルのあたりに幾つかの十字軍国家を建設している。
この十字軍の成果について、私は当初、十字軍が騎士によって構成されていたことが大きな一つの要因ではないかと推測していたけれども、それでは以後の十字軍がさほどの成果を得られなかったことを説明できない。
最近、日本でも髪をブロンドに染めている十代の若者をみかけることがある。日本に限づアメリカでもブロンドは好まれるという傾向があるらしい。マリリン・モンロー(アメリカの女優)は髪をブロンドに染めていたらしい。
アメリカでは、あまり地味な職業にはブロンドは少ないかもしれない。しかし、北ヨーロッパでは裁判官のような職業でも、みなそろってブロンドだけれども、殆どの場合染めているわけではない。
何故、ブロンドが好まれるという傾向があるのかはわからない。西洋ではヴァイキング活動をしたアーリア人である、という意識があるのではないかと推測できるけれども、ヴァイキング活動と関係が無い極東の日本でもブロンドが好まれている。
日本は、大東亜共栄圏ということで戦争を始めたけれども、ヒトラーはゲルマン人はアーリア人だと主張して戦争を始めたらしい。
アメリカで2001年9月11日に起きた同時多発テロは、世界中で報道されているので知らない人は少ないと思うけれども、ロシアでは飛行機がビルに突っ込んだことをカミカゼとアナウンスしていた。たぶんロシア語のスペリングではКАМИКАЗЕになると思う。
多くの日本人は特攻(神風)というと、片道の燃料だけで出撃していたというイメージをもっているみたいだ。しかし、実際には殆どの場合、燃料も満タン、機関砲の弾も十分に搭載して出撃していたらしい。軽い飛行機で特攻出撃する場合、体当たり用の爆弾を搭載すると燃料の補助タンクを搭載できなくなってしまうなどの理由で片道だけの燃料で出撃することあったらしく、主力機を温存しようとする陸軍ではそのような特攻はごく稀ではなかったかもしれない。高高度迎撃能力を有しなかった為、B-29(爆撃機)への体当たりも行われていた。終戦に近い年になると兵学校(海軍の士官学校)の書き込み帳みたいのに"一機一艦"と書かれるようになる。しかし、現実的には250キロ爆弾1つで軍艦を沈めることは難しい。
特攻は、物理的には戦局を転換させるような戦果を得ることはできなかったけれどもアメリカ軍に対する精神的な効果が大きかったみたいで、暫くの間は、そのような攻撃を受けていることについてアメリカで報道されていなかったらしい。
航空機による特攻の戦果は、撃沈が護衛空母3隻、駆逐艦が10~15隻くらいその他が18隻くらいと輸送船で、損傷が正規空母16~20隻、護衛空母17隻くらい、戦艦15隻くらい、巡洋艦15隻くらい、駆逐艦100~150隻くらい、だったらしい。
特攻で出撃した航空機の10パーセントから30パーセントくらいが実際に艦艇に突入していたらしい。
航空機による特攻がアメリカ軍に対して大きな精神的な効果を与えることができたかどうについては内感の問題であり、実際にはどうだったのかわからないけれども、日本では一般に文化の違いからそのように思われているみたいだ。例えば、もしアメリカで爆弾三勇士報道が行われたとしても日本のような大フィーバーになるどころか部下をそのようにして戦死させた責任問題になるのではないかと日本ではイメージされているみたいだ。
爆弾三勇士(肉弾三勇士)というのは、報道によると、鉄条網を爆破して突撃路を開く為に点火した破壊筒をもって突入して爆死した3人の工兵のことで、報道機関によって爆弾三勇士と肉弾三勇士という異なる名称が使用されている。この1932年の報道の際に陸軍大臣は「かくのごとき壮烈悲壮言語に絶した行為はひとり日本軍人のみがなし遂げられることであって外国では到底見られない事柄で・・・・」と言っていたらしい。この報道は"3人の工兵が爆弾を抱いて鉄条網に飛び込み突撃路を作った"という類例の無い話に興奮して十分な取材を行わないまま中国から東京へ第一報が送られたという経緯があったらしく、日本でも1932年(昭和7年・満州国が建国を宣言した年)頃には特攻精神は無かったと推測することができる。しかし、例え捏造報道であったとしても爆弾三勇士報道に対して衝撃と感動の大波瀾が巻き起こったのだから元々日本には特攻精神があったと推測することもできる。
日本では(大手)新聞やNHKに対する信頼が高いので捏造報道ということが問題になるみたいだ。このことは日本で、あまり信頼されていない多くの週刊誌と大差がないということではない。
107師団の師団長は新京放送局の終戦の放送を受信していたけれども謀略放送であることを疑って8月15日以降も戦闘を継続していた。軍事クーデタ未遂事件(二・二六事件)の際には放送局も占拠されていたらしい。大きな出力を用いれば地下放送が正規放送を装って謀略放送を行うこともできる。
新聞は限られた時間で記事をまとめなければならないのだから誤報は起こり得る。問題は、各新聞社が爆弾三勇士報道を止めなかったところにある。現在は爆弾三勇士報道は捏造報道であると断定されているけれども1905年(明治38年)の三八式歩兵銃で強かったのだから当時の日本軍でそのような攻撃が行われていた可能性は有り得るかもしれない。新聞社が誤報であることを知っていたままで爆弾三勇士報道を止めなかった可能性もある。もし、爆弾三勇士報道が誤りであったならば各新聞社は(もし)ジャーナリズムとしての自覚があるならばNHKが受信料制度を廃止するように、そのことを知った時点で爆弾三勇士報道を止めて爆弾三勇士報道で集めた募金を返還すべきであっただろう。
爆弾三勇士についての新聞報道が始まると、爆弾三勇士は映画や演劇の演目となり、教科書にも掲載され、漫画ののらくろでも描かれるようになったらしい。
このような時系列が示されると、爆弾三勇士大フィーバーは新聞報道によってなされたように思われてしまうかもしれないけれども~実際そうだったのかもしれないけれども若干の補足をすると新聞報道が始まってから10日後くらいしてから爆弾三勇士の映画のリリースが始まっている。
満州の皇帝は北京にいた頃、初めて映画をみた際に読書よりも優れているというような感想を述べていたらしい。満映の理事長とは親しかった~上海から満州へ皇帝を連行したのが満映の理事長だったらしい。
現在は、テレビジヨンによって報道が行われている。中華民国(台湾)では公共放送を立ち上げる際に何年かは公共放送ではニュースを放送しないという案が実際にあったらしい。
航空機による特攻で撃沈した護衛空母というのは、当初は大西洋に於ける対潜水艦(Uボート)として建造されたらしい。おそらく複数の特攻機が突入したか誘爆を起こしたんだろうけれども、ともかく航空機による特攻で航空母艦を沈めることができた。
潜水艦の魚雷はトマホークと同じ大きさで正規空母でも撃沈させることができる。
それでは、零式艦上戦闘機(零戦)に魚雷を搭載すればよかったのではないかと思う人もいるかもしれないけれども、それは物理的に不可能らしい。真珠湾攻撃の際に魚雷を搭載していたのは雷撃機のSwordfishのように魚雷を搭載できる艦上攻撃機という艦上戦闘機とは別の機種の航空機だったらしい。
人間魚雷(回天)のほうが航空機による特攻よりも大きな攻撃力をもっていた。だけれども人間魚雷(回天)による特攻は映像として記録されていない。映像としてみることができるのは航空機による特攻だけみたいだ。
人間魚雷(回天)では当初から戦局の転換が計られていたけれども、当初の航空機による特攻は人類史上最大の海戦(レイテ沖海戦)に於いて航空母艦の甲板を破壊することを計っていたに留まっていた。まさか、航空母艦を沈めることができたのだから行け行けドンドンということになってしまった、ということは考えられない。本土沿岸の防衛の為に基地回天隊が編成されているところから、おそらく回天を搭載できる潜水艦が不足していたと思われる。ドイツは日本の10倍~20倍以上の潜水艦を保有していたらしい。
しかし、航空機による特攻は本当にアメリカ軍に対して精神的なダメージを与えていたのだろうか?激しい戦闘を経験した部隊では必ず一定の割合で戦闘神経症が発生するらしい。NHKなどで航空機による特攻の映像が放送されると、たいていの場合、アメリカ軍将兵の理解できない攻撃を受けたので云々というコメントもいっしょに放送されている。もし、航空機による特攻で大部分のアメリカ軍将兵がそのような精神的ダメージを受けていたのであれば戦闘不能に陥って撤退していなければおかしい。特攻機の命中率が56%だったとするアメリカの資料やそのような攻撃を受けていることについて暫く報道しなかったことから、他の攻撃方法よりも戦闘神経症を高い割合で発生させていたことは推測できる。しかし、沖縄戦で1,827機の航空機が特攻作戦に投入されていてもアメリカ軍の上陸を阻止することはできなかった。
沖縄で収穫されていたコメは外米ではなかったみたいだ。航空機による特攻は4分の3くらいが沖縄戦で出撃している。終戦時、日本は9,000機くらいの航空機を保有していたらしい。日本は殆ど外国からの侵攻を受けたことがなく神州であると考えられていたと雖も、大本営を内陸に移す計画など本土決戦に備えていたので沖縄戦では1,827機を作戦投入することが限界だったのかもしれない。しかし、沖縄戦でアメリカ軍の上陸を阻止することができたとしても日本に残っていた航空機が軍の作戦として投入され続けた可能性は高い。神風が吹いて追い払ってくれると思われていたみたいだけれども、大本営を内陸に移す工事を始めていたのだから沖縄侵攻を阻止できないことを戦争指導者達は承知していた可能性が高い。
イスラム教ではジハード(聖戦)による戦死は殉教となる。このような考えはイスラム教に限られない。キリスト教でも十字軍の際に戦闘で死んだものが殉教者となると考えられていた。日本の場合、殉教者は靖国でまつられる。若い世代だと、神社への参拝なんてどっちでもいいことじゃないかと思っている日本人が多いみたいだけれども、中華人民共和国政府が靖国神社への参拝に対し大きな懸念を示しているのは、このような理由によると思われる。
兎狩り
おそらく西洋の文明も東洋の文明も徐々に発達していたんだろうけれども、最近の何百年かの間では西洋文明の発達が著しく、先進国の地位は完全に西洋のものとなっている。
最近の何百年かの西洋文明の発達を支えたのは、新大陸からもたらされたイモであると考えている。
当時ヨーロッパで、同じ耕地でイモを栽培すると、およそ4分の1の耕地で小麦と同じ収穫量が得られたらしい。
トウモロコシも耕地あたりの収穫量はコメと同じくらいだったろうけれども、寒冷な気候にも耐えるし二毛作をするとイモのほうが収穫量が多くなるらしい。
ともかく、イモが栽培されるようになりヨーロッパの人口は増加している。
(続く)