鎌倉時代の明恵上人(みょうえしょうにん)という僧が40年に渡って自分がみた夢を書き綴っているらしい。
ヒトが寝ている間に夢をみること自体は全く異常なことではないと思う。
鎌倉時代は(江戸時代とくらべて)文献資料が極端に少ないので、このような記録が残っていることは歴史の史料としての価値もあるかもしれないし、また夢の分析を行うような心理学の資料としての価値もあるかもしれない。
平安時代の後期から鎌倉時代にかけて日本刀が本格的に作られるようになる~と言っても、日本刀は中国への輸出品でもあり室町時代(鎌倉時代の次の時代)になってから値崩れしているので実際には室町時代から大量に生産されるようになったと推測することもできる。
刀による戦闘が優位になっていたとしたら、弓を貫通させない鎧が普及していたことも推測できるし、戦場では弓や槍が主力で刀は屋内戦闘などに適していたというようなことも推測できる。屋内戦闘の場合でも例えば忠臣蔵の討ち入りの際には弓が用いられていて刀で向かい合っている片方が何人も弓で射られているみたいだ。
弩(クロスボウ)は鎧を貫通することができるとされているらしいけれど、矛盾の話ではないけれど、装甲を厚くするなどした鎧が開発されれば鎧を貫通することができなくなるだろうし更に威力を高めた弩(クロスボウ)が開発されればまた鎧を貫通することができることになるというような感じがする~あるいは、ヒトが着用できる鎧の装甲の厚さには限界があるので弩(クロスボウ)が鎧を貫通するというところで落ち着いているのかもしれない。
現在製造されている最新の戦車はジェットエンジンを搭載した戦車が多い。先の大戦の際の日本の大型戦車は航空機用のエンジンを搭載していたような。たぶん、できるだけ装甲を厚くして機動性を確保する為には、できるだけ軽くて高出力なエンジンを搭載したほうがよいのだろう。
律令制による朝廷の統治が全国に普(あまね)く行き届いていなかったというのが通説だったと思うけど~日本の近代化以降からの国家主義を推し進める為に律令制が強調されてきたことへの反省でもあるだろうけれど、律令制が崩壊しても弩(クロスボウ)の製造方法が流出しなかったことから少なくとも律令制に於いて国府などの統治機構の統制はしっかりと行われていたと推測することもできる~律令制が崩壊した後に弩(クロスボウ)や弓よりも射程距離の長いカタパルトなどの投石機が内戦で用いられていないというのは解せない、ような感じもする。
近代化以降からの国家主義では(国家)神道が重んじられて各世帯に小さな神棚が祀られるようになったような~奈良時代には、おそらくこれと似たような国家鎮護の思想で各国に国分寺(国分尼寺)が建立されて奈良の大仏のある寺が各国の国分寺の元締めになっていたらしい。
大仏は、このような思想から日本中の銅を集める程の・国力を傾ける程の力を入れて作られたような感じがする。ずっと後の鎌倉時代になると銅が多く流通していて奈良時代のように国力をかけなくても大仏を作ることができるようになる。現在の鎌倉の大仏は地震の揺れの振動を大仏の動きで吸収する為に大仏と蓮座の間にステンレスの板が貼ってあるらしい。
鎌倉幕府が立ち上がったことで武家政権の時代になったのではない~鎌倉時代は朝廷と幕府のいわゆる二重権力構造の時代だったというのが通説だと思ったけど、承久の乱の後のことであるにしても鎌倉の大仏は幕府の全国支配の意欲を象徴しているかもしれない。
(続く)