現在、テレビは娯楽の中で大きな位置を占めている。日本人は一日平均4時間以上テレビジヨンをみていると雖(いえど)も"テレビをみるのが趣味です"という表現には違和感があるみたいだ。
満映で制作されていた映画も、当時としては数少ない娯楽の一つであった。
現在、テレビジヨンが社会に与える影響が大きいように、当時は映画が社会に与える影響が大きかったのかもしれない。
純粋な娯楽番組・娯楽映画もあるかもしれないけれどもNIKITAはどうだろう?
映画は先ず次のような衝撃的なシーンから始まる。薬物依存症(ジャンキー)の息子が父の薬局に仲間と押し入ろうとする、父は息子だと知らづに警察に通報。強盗犯は一人の少女を除いて射殺される。暴力表現を規制しようとする場合、このようなシーンも単純な暴力の表現として捉えてよいのだろうか?まったく良識を逸脱した事件であり、かえって単純な暴力シーンだけのアクション映画のほうが罪が無い。
最初のシーンから、とんでもないストーリーの映画であることがうかがえるけれども、良識的な人にとっても映画では、とんでもないストーリーをみてみたいのかもしれない。
終身刑が言い渡された少女は、死んだことにされて政府の地下組織で工作員としての訓練を受けることになる。このような囚人をスナイパーに抜擢することは有り得るかもしれない。しかし、特別の境遇でない一般人が次々と自爆テロを仕掛けてくることについては理解できな人が多いかもしれない。
3年くらいして、誕生日に初めて外出を許可される。やたらとゴージャスなレストランでプレゼント。ラッピングされていたのは大口径の拳銃で、男性からその場にいるターゲットを撃つことを指示される。どんな女性だってゴージャスなレストランへ連れて行ってもらいプレゼントというのは楽しい流れだろうに、プレゼントされたのが拳銃で、しかもプレゼントをした男性から殺害の手筈を淡々と語られる~この映画では、このようなシーンが何度かあり、次のシーンの後ではレストランで2発撃つように指示をした男性はサドではないかと非難されている。このようなわかり易いストーリーは、この映画の特徴だと思う。このことは、このような良識を逸脱したストーリーの映画がヒットした要因でもあると思う。
NIKITAはその後、テレビで何年間か連続ドラマとして放送されているらしい。日本でもそのテレビドラマは放送されているらしい。日本ではNIKITAという女性誌が刊行されているけれども、そのNIKITAは映画のNIKITAとは関係ないみたいだ。
ある程度ヒットした映画はリメイクしても興行として上手くいく可能性が高い。たいていの場合、そのようなことでリメイクされるので、より多くの制作費をかけてリメイクされた映画がオリジナルを超えることは難しい。NIKITAもASSASSINというタイトルでリメイクされているけれども、どうだろう?
---映画を視聴した感想---
満映の理事長はフランス映画をみて感動して映画の仕事を始めたらしい。
どのような映画が感動的なのか、という基準はないけれども最近は感動的な映画はあまり制作されていないらしい。そのなかにあってNIKITAは感動的な映画だと思う。だけれどもNIKITAは暫くしてからみると感動が薄らいでゆくみたいだ。それは、このNIKITAが名作(古典)に及ばないからということからかもしれないけれども、この映画が純愛映画ではないからかもしれない。
演出がすごく凝っている映画だというのがNIKITAを視聴した印象。同様の表現はテレビジヨンでもできる筈だけれども、更に凝っているということがわからない表現のほうが危険かもしれない。それぞれのシーンの完成度が高い割に全体としてよくまとまっている。そんなわけないだろうと思わせるようなストーリーの破綻は表現したいことを優先した結果かもしれない。
あまり演出が凝っているのでサドのシーンで同じ下着をつけているのではないかと疑ってしまった。
"このような不良映画を制作して地獄に堕ちるぞ"と主張する人もいるかもしれないけれども、誰もこの映画が社会に良い影響を与えたのか悪い影響を与えたのかを審判することはできないと思う。