たぶん、殆どの人は絶対音感をもっていない。
絶対音感をもっていると、音高を音名で言い当てることができる~音を聴いて、これはド(C)これはミ(E)と言い当てることができる。
素人から見ると、絶対音感をもっている人は作曲など音楽に関することをする上で断然に有利だと思う~しかしベートーベンは耳が聴こえなくなってから第九を作曲しているそうなので、有利であるというに過ぎないことなのかもしれない。
子供の頃に絶対音感のトレーンニングをすると和音(2つ以上の音)を言い当てることもできるらしい~ド(C)とミ(E)をいっしょに弾いた音を聴いて、これはド(C)とミ(E)であることがわかるらしい(?)。
ヒトの脳の聴覚野に於けるシナプス数のピークは3歳くらい~視覚野や脳全体のピークが8カ月くらい。
3歳から6歳の間にトレーニングをすると絶対音感が身に付き易く、9歳以降で身に付けた事例は非常に少ないらしい。このブログの"小児の発達について"(2006年 6月 4日)に書かれてある、生まれたての動物など反応選択性が獲得されるであろう時期に個体の視覚体験を奪うと、その後、その時期に視覚体験を奪われた個体はずっと何も見えなくなってしまう、ということと似たような事例かもしれない。
もし、聴覚で視覚と同様の実験を行うことができたとしたら、同様の結果を推測することができる~生後暫くの間何も音を聴かせないことができたとしたら、おそらく、その個体を音が聴こえる環境に置いたとしても何も聴くことができないであろう、ということを。
しかし、聴覚の場合には、遮音された部屋を用いるにしてもそのような実験は難しい。なぜなら、たいていの場合、個体そのものが心臓の音などの音を発しているから。おそらく、遮音された部屋を用いた実験では、他の個体とくらべてかなり音感が悪くなる程度だろうけど、動物によっては外部からの音に殆ど反応しなくなる可能性もあるかもしれない。
基礎研究の結果として、聴覚中枢のシナプス数のピークの時期が視覚中枢あるいは脳全体のシナプス数のピークの時期よりも2年以上遅れていることがわかった。臨床研究の結果として、3歳から6歳の間にトレーニングをすると絶対音感が身に付き易いということがわかった。日本では、音楽教育は音感を良くするのに有効だということで、飛行機などの機械音を聴く為に物資が困窮していた戦時中も初等教育に於いて音楽の授業が行われていたらしい。日本では、幼稚園(義務教育の前の学校)の先生になるにはピアノがある程度弾けなければならないらしい。
フィリピン戦でアメリカ軍はブルドーザーを用いている。日本人がこもった洞穴みたいのを埋める作業にも用いられたらしい。そのような作業をしても日本人は洞穴みたいののなかで息絶えるまで軍歌を歌っていたらしい。
最近の日本の流行歌、特に若い世代の流行歌は歌詞がわからない、あるいは意味不明の歌詞の歌も流行っているみたいだけれど、もともと音楽は歌詞ではなく曲で人を感動させているのかもしれない。
キリスト教の教会の音楽は、当時殆どの人が理解できないラテン語で歌われていたしお経ミサだってたいていの人は何を歌っているのか理解できていないかもしれない。
日本で最初にお経ミサが歌われた際には、それは好評だったらしいけれども、そのお経ミサを歌った女性は裸にされて檻(おり)に入れられたらしい。
キリスト教の神父はオルガンを弾けるらしい。日本の僧侶は木魚(もくぎょ)ドラムを打ちながらお経ミサを歌っている。小僧の頃から寺にいるから木魚ドラムやお経ミサを聴いて音感を身に着けているのかもいれない。
このような神父などの事例をみると、それぞれの個人の資質や性格は生得的ではなく子供の頃の学習によって獲得されているような感じがする。
音楽の世界に天才は殆どいないらしい。一般の人に天才と思われているような音楽家も絶対音感をもっていなかったかもしれない~平均律以前だとそもそも絶対音感が無かったらしい。本来ならば天才とは何かということから問題にしなければならないのかもしれないけれど、天才がいたということが認められているのだから生得的な資質は存在するのだろう。