親兄弟などが死亡した際に落ち込むのはヒトとしての当然の脳の活動だと思う。現在の社会は、ヒトが死亡したことに限らづ落ち込む要因が多くなっているような感じがする。
テレビジヨンの放送を統制するには、放送する原稿を事前にチェックできなければならない。報道番組のようなライブ放送でもプロンプターのような装置は、その為に大変に有効だと思う。
NHKは日本の他の放送局とくらべて放送が厳しく統制されているらしい~報道のような番組で複数のコメンテーターを出演させて面白いことを言わせる、というような番組編成は行っていらしい。それは、おそらく、そのコメンテーターが何を言い出すかわからないので放送内容を統制しずらいからかもしれない。
だから、ワイドショーのような報道番組でも外部のキャスターを起用していない~NHKの職員にニュースキャスターの仕事をやらせている。このことは、報道の責任という観点からみると大変に良いことだと思う。
先の大戦の際などでの大本営発表の報道。大本営発表を報道した報道機関に責任は無かったのだろうか?~ニュースキャスターを高いギャラで起用して、この放送はあのニュースキャスターの言っていることだからということで報道機関は責任逃れができるということなのかもしれない。
NHKでは総合放送で一週間80時間くらい、割合として全放送時間の40%以上を報道番組として放送している。報道番組では録画された番組を放送するのではなくライブが多い。
生放送でも技術的には数秒の時差を設けて放送することで突発的なアクシデントなどに対応することもできるらしい。NHKでも報道番組にNHK職員以外の専門家の先生などを出演させることがある。この専門家はこのようなことを言い、あの専門家はこのようなことを言うだろう、というように番組内容が予測できるような専門家を出演させているのかもしれない。
録画だか生放送だか知らないけどNHKでは政治家を集めて討論させるような番組も放送しているらしい。政治家の場合も政党などによってどの政治家がどのような発言をするか予測できるかもしれないけど、素人の印象としては政治はNHKの編集権の上位にあるような感じがする。
天気予報は微妙なところ。たぶん直前(事前)の打ち合わせに気象に詳しいNHKの担当ディレクターが参加しているだろうけど、天気予報は統制の対象外のような感じもするし(天気予報が自由化される以前はどの放送局も独自の予報を放送することができなかったらしい)、予報の通りに天気が推移しないことが多いので専門家にやってもらっているというような感じもする。
もちろん、天気予報が自由化される以前でも視聴者等が気象データから天気予報と異なる天気を推測することはできた~ただしテレビ局や新聞が独自に予報をたててそれを放送することはできなかったらしい。
素人からみると、特に現在の社会だから落ち込む要因が多くなっているのだろうか?とも思えるけども、実際にそのような患者は増えているらしい。NHKの夕方の報道番組でカタダという苗字の専門家の先生が出演した際に"ほかの診療科とくらべて開業するのに敷居が低い"とか"医師免許をもったヤクの売人"と驚くようなことを言ったのが放送されたことがあるらしい。
NHKでは最近の番組(NHKスペシャルという特集の録画番組らしい)でも、(患者は増えている)乗り遅れないように、机があればできるというようなことを放送していたらしい。
番組は多くの薬による治療に対して偏見をもたれるような内容だったらしい~以前カタダという専門家の先生が"医師免許をもったヤクの売人"と言っていたのはこのような趣旨だったらしい。
報道機関であるNHKは編集権をもっているのだから、その観点からはどのような放送をしても問題ない。しかし、特定の業種の雑居ビルなどでやっているという特定の営業形態に対して偏見をもたれるような放送内容はいかがなものかと思う~もちろん、だからといってNHKを黙らせるようなことは大変に好ましくない。
言論統制という言葉からは単に都合の悪いことを放送させないようなことをイメージするかもしれないけれど、世論を特定の方向へ導くような積極的なことも含まれているのかもしれない~言論統制は程度の差こそあれどこの国でもやっていることだと思うけれども、素人からみると強権的な検閲のようなことをあからさまにやるのはあまり上手なやり方だとは思えない。世論を特定の方向へ導くようなような放送もそうであることがわかりずらいようにして放送したほうが効果があるような感じがする~しかし、体制にとって言論活動が脅威になるような場合には強権的な検閲が必要かもしれない。イラク共和国ではサッダーム・フセインの強権的な秘密警察が消滅したことで宗派間の対立などが表面化したりしてテロが行われているらしい。南アメリカのベネズエラ・ボリバル共和国(ベネゼイラ)では子供を学校に行かせた親に銭を渡すことで就学率を高めることに成功している~サッダーム・フセインの頃のイラク共和国では1977年頃から全国規模で読み書き教室を開催して識字率を高めることに成功したらしいけど、その読み書き教室に参加することを拒否したら投獄されていたらしい。
イラク共和国では読み書きの言葉と話し言葉は別だったらしい。"ブログの効用"のエントリー(2006年 6月)にある文語と口語が異なるっていうことだけじゃなくて文語は聖典に用いられている言語ということらしい。イラク共和国で日常会話に書き言葉が用いられることは殆どないらしい。
イラク共和国のように民族紛争のような緊張のあるところで、サッダーム・フセインの強権的な秘密警察が消滅して西側の民主政治みたいなことをやろうとするから大変なことになっているのかもしれない~西側でも言論の自由とかは表面的なことで秘密警察が活動しているのにその表面的な民主政治をやろうとするからまずいのかもしれない。
秘密警察っていうのは日本では憲兵とか特別高等警察のことだけど
放送による極端な手口としては正規放送を装ったニセの放送で交戦状態にある軍隊を降伏させたことがあるらしい(バンドン謀略放送)。
続く