なぜ多くの種で生理的にオスのほうがメスよりも若干優っているかについて説明したけど、このことがヒトにあてはまるかどうかは計量的な調査が必要~そんなことしなくてもわかるようなことかな?
同じ条件で競ったとしてもヒトの場合、基本的に男性のほうが女性よりも所得が高くなっているみたいだ。国によってだいぶ事情は異なるけど基本的に男社会のところが多い。
中東のイスラム圏の国のように女性の社会参加を認められないというように(西洋から見て)極端な社会もあるけど彼らにしてみれば、それが本来の社会。
そのような社会のシステムが(西洋の発展とくらべた)アジア的な停滞の原因ではない。(日本で報道されている)タリバーンの頃のアフガニスタン・イスラム国のように女性は学校へ行けない文盲だったというのはどうかと思うけど(イスラム圏のエジプト・アラブ共和国には女子大がある)男女の性による分業そのものは社会の能率を悪くすることではない。
この数百年の間に西洋がアジア(中東)とくらべて大きく経済成長できたのは、(産業革命というようなこともあったかもしれないけど、その産業革命を支えたのも)新大陸からイモがもたらされたからに他ならない。(このブログの2007年 1月投稿の青い瞳~当時ヨーロッパで、同じ耕地でイモを栽培すると、およそ4分の1の耕地で小麦と同じ収穫量が得られたらしい)
プロボクシングでは男女を区別せづに処遇しているらしい。チャンピオン(ムハンマドアリ?)の娘が試合で男性を負かしたことがあるらしいけど、あまりプロボクシングの試合で女性の選手はみかけられないらしい。
古代ギリシャの都市国家は互いに抗争していたらしいけど、その都市国家で行われていた市民政治での市民っていうのは重装歩兵をやっていた男性だったみたいだ。
アメリカの軍隊では男女を区別せづに処遇しているらしい~しかし結果として女性の将官(少将とか中将)は少なくそれも補給部隊のような任務らしい。日本には女性用の大鎧が残っている(インターネットでリサーチしても簡単にでてくるhttp://blog.livedoor.jp/koichi0024/archives/52552584.htmlここののようじゃなくて源平合戦にでてくる公達のような感じの大鎧もあった)。また(後に書かれたフィクションかもしれないけど)巴御前(ともえごぜん)のように女性の武将も活躍していたらしい。
現在のように男性女性の人口がほぼ同じでも、男女で軍隊を構成すれば男性だけの場合よりも倍の規模の軍隊を構成することができるだろうか?総合的に軍隊と銃後を分けたほうが強くなるような感じもするし、男女で構成したほうが強くなるような感じもする。
より強い軍隊を持とうとしている国では男女で軍隊を構成しようとしているみたいだ。
ロシア連邦(ロシア共和国)のコサック学校では男子生徒も女子生徒も同じように日本で行われていた軍事教練みたいな訓練を受けているらしい(しかも軍事のカリキュラムがかなり多いらしい)~日本の軍事教練は旧制中学以上のエリート男子を対象としていたみたいだ。コサック学校の数は少なからずあるらしい~一般の学校を卒業してから軍隊に入るシステムになっている国とくらべると底力をもつようになるような感じがする。
アメリカにも陸軍幼年学校みたいのがあるかもしれないけれども、たぶんアメリカの軍隊では女性に対しても男性と同じような訓練のカリキュラムが用意されているのだろう。
テロリストの場合には軍事訓練は男性に限定されているみたいだ。テロリストの場合には抑止力の軍隊ではなく実戦を想定しているので説得力があるような感じがするけれど、宗教的な理由で女性のテロリストがいないのかもしれない。
あまり詳しくないので間違っているかもしれないけれど、将校と士官というのは同一語ではなかったらしい。例えば同じ中尉であっても将校である中尉と将校でない中尉がいたらしい。
兵科(戦闘部隊)の士官は将校だけれども、主計科(補給部隊など)の場合には士官の階級をもっていても将校ではなく(将校相当官たる)主計中尉というように称していたらしい。
確かに主計兵(補給部隊)自ら"主計兵が兵隊ならばトンボ・蝶蝶(チョウチョ)も鳥のうち"と称していたらしい。
男女を区別せづに処遇していると言っておきながら将官になるとトンボ・チョウチョしかさせていないのはいかがなものかと思う~サッダーム・フセインの頃のイラク共和国では女性の将校は全くいなかったらしいけれどそのことについて女子差別撤廃条約みたいのでは全く問題にされていなかったらしい。
たぶん軍隊の場合には、男性女性の生理的な差がでやすいと思う~男女を区別せづに処遇して競った結果、そのようになったのかもしれない。アメリカの場合には一般社会でも女性が男性と同じように競えるということになっているらしい~あるいはシャバでそうだから軍隊でもそのような建前になっているのかもしれない。
このようなアメリカの建前をかざして母子加算を廃止するのは
いかがなものかと思う。