日本のインターネットでは成人向けのサイトはフィルタリングされていてENTERする前にその旨の表示があることが多い~多分これは世界共通みたい。だけれどもテレビジヨンの場合、日本では何のフィルタリングも行われていない。テレビがよく普及していて複数台数のテレビがある世帯が多く、数世帯に一世帯という割合で子供専用のテレビがあるらしい。
インターネットの場合、成人向けのサイトに少年がENTERして閲覧することができる。悪い意味で捉えられるかもしれないけれど、これが自由だということかもしれない。機械のシステムとしてアクセスを制限してしまうと、成人に対しても特定のサイトの閲覧を制限する機能をこっそりと付加される可能性がある。テレビジヨンの場合、アメリカのように多チャンネルの有線放送だったら、特定の番組の視聴が制限されていても気がつかない、というような視聴制限が行われる可能性もあるかもしれない~レイティングによる視聴制限が行われていなくてもインターネットでの検索と同じで番組のリサーチで特定の番組が視聴されずらいようにすることもできるかもしれない。ドイツ国民ラジオの性能がたいしたことないのは、自国の放送が確実に受信できて且つできるだけ外国の放送を受信できないスペックになるよう厳密な調査をした結果だったらしい。そのような方法での視聴制限が悪いことかどうかはわからない。ドイツ国民車(フォルクスワーゲン・Volkswagen Type 1・ビートル)がリアエンジンなのは戦車のようにかと思っていたけれども不整地を走破し易いようにする為のリアエンジンだったみたい。野戦向き(Felddiensttaulichkeit)ということらしく軍用バージョンとして1945年(終戦)までに1万台以上のシュヴィムワーゲン(水陸両用車)と5万台以上のキューベルワーゲンが生産されている。メルカバ~ヘブライ語で騎馬戦車という意味らしいイスラエル国の国産戦車がフロントエンジンなのは正面から被弾した際の乗員の保護の為らしい。最新バージョンのメルカバはドイツ・MTU(マイバッハ)社製のエンジンを搭載しているらしい。ストーリーでも繰り返されているのでわかり易い演出だと思うのだけれども映画でBEN HURは馬に対してムチをふるっていない。
少年が自分専用のテレビをもっていると子供向け以外の番組を視聴しないように言われていても他の番組を視聴する誘惑のほうが叱られることよりも大きければ、子供向け以外の番組を視聴してしまう可能性は高い。しかし、叱られるということに担保されていれば、子供向け以外の番組を視聴する時間はわずかというかちょっと視聴する程度に留まるだろう。
テレビジヨンで多くの暴力映像が放送されていると雖(いえど)も、このように叱ることで子供の暴力シーンへの接触をぐっと減らすことができる。子供がよく視聴している番組に暴力表現を抑えるよう働きかける、ということも有効だけれども、そのようなことをしては表現の自由を侵害することにつながってしまう。少年に暴力シーンに接触させないようにする為には何よりも叱るということが最も有効な方法。
ゲームの場合は、レイティングされた年齢に達していない少年がゲームソフトを購入できないシステムになっているみたいだ。素人の立場からみると、これでは少年が成人のもっているなどのゲームソフトでプレイすることができてしまい、このような規制ではあまり意味がないのではないかと思える。おそらく日本でも、このようなルートで子供が成人向けのゲームソフトをプレイしている可能性は高いと思う。しかし一応規制が行われていることで大っぴらにはできない~成人向けのゲームをたくさんプレイすることは防げることにはなる。
ドイツ連邦共和国では少年(おそらく少年男子)が学校内で銃を乱射して自殺した事件を受けて法的拘束力をもつレイティングが行われている。ゲームの場合にはテレビジヨンほど世論の形成には影響しないし子供のプレイを対象とした規制なので問題ないと思う。ゲームソフトを有害図書に指定した場合には、そのことで成人がプレイすることを躊躇させるようなことになるかもしれないけれども、ドイツ連邦共和国ではとりあえず成人がプレイすることに対する規制ではないみたいだ。
このようなケースに限らづ、レイティングの基準はできるだけ明確にして恣意的な運用が行われないようにしなければならない。ドイツのゲーム規制の場合にはハーケンクロイツ(卐)の使用を制限するレイティングになっている~ハーケンクロイツ(卐)の場合にはわかり易いし明確にレイティングされているけれども、このようなレイティングを行う場合、もっとわかりずらい政治的な意図をもった偏向的なレイティングが行われる可能性が高いので、レイティングの基準はできるだけ明確にしなければならない。
ドイツ連邦共和国では子供向けのゲームに限らづ成人に対してもハーケンクロイツ(卐)の使用が規制されているらしい。似たようなマンジ(卍)とかヒンドゥー教のスヴァスティカの掲示もダメでハーケンクロイツ(卐)に×印をつけて反ナチを表現する意図であってもそこでハーケンクロイツ(卐)を使用しているからダメになるらしい。
家庭用ゲーム機(コンソール)の場合、ハードウェアは製作原価よりも安い定価(希望小売価格)が設定されているらしい。家庭用ゲーム機の場合、成人よりも子供のユーザーが多いという事情もあるかもしれないけれども、要するに、そのハードウェアに対応したゲームソフトで利益をだそうというシステムらしい。
このシステムだとユーザーが一つのゲームをプレイし続けられるよりも、次から次へとリリースされるゲームソフトでプレイしてもらうことが望ましいことになる。子供の場合、購買力が限られていることが多いので口コミなどで同種のゲームとくらべて下であると評価されるようなゲームはプレイされなくなってしまう。よって、レイティングの制約の範囲で常により面白いゲームが制作されなければならないことになってしまい、それはコンスタントに実現されているらしい。
何の制約もなければ安易に暴力シーンを用いることで面白くしようとするらしく、家庭用ゲーム機とは事情が異なるかもしれないけれども、次から次へとリリースする為に暴力シーンがどんどん過激になって現在に至っているらしい。放送の場合には、レイティングによる制約の範囲で子供向けゲームを面白くするような方向で番組を面白くすることが求められることになるのかもしれない~もちろん暴力シーンの放送を自粛することを求めるということではなく、あくまでそのような番組が好まれるという意味で・・・
無線通信は電信によって行われていたらしいけど音声を送信できるようになると先ず放送に利用されるようになったみたい。電信で音声による送信を行う予告をしていたらしく、当初の放送では聖書の朗読が繰り返されていたらしい。受信料を徴収してビジネスにしようとしたのは真空管が発明されてから。
ドイツ国民受信機の公定価格は製造コストよりも安く設定されていた。市場原理でも、このような価格設定は考えられないわけじゃない~受信料を徴収することでビジネスとしても成立し得る可能性があった。もちろんラジオの設置が義務付けられていた訳ではない。受信料~日本の場合当初一ヶ月1円は劇場へ行くコストなどとくらべれば格段に安く、不況の際など一時的に聴取廃止の件数が増えることはあっても受信契約は順調に推移してきた。
ラジオの場合には製造コストよりも安い公定価格を設定しても受信料でペイできる可能性があったけれども自動車の場合にはそうはいかない~正確には、生産台数の増加がビジネスとして成立させる可能性をもっていた。
ドイツ国民車の場合にもドイツ国民ラジオのように、それぞれのメーカーの諸工場で共同体労働として国民車を製造できる可能性をもっていたと雖(いえど)もそれは実現しなかった。
戦争準備の為の国民車計画だと思っていたけれども、ヒトラーは純粋に自動車を普及させたかったみたい。産業の動力としての自動車を考えていたのではなく当時の庶民ではもつことのできなかった自動車を普及させたかったみたいで国民車の正式名称も歓喜力行団の車KdF-Wagen。歓喜力行団とは、ナチスの外廓団体のドイツ労働戦線の下部組織で、コンサート・保養施設などの娯楽を提供していた。市場原理に任せていても、それなりの廉価な自動車はあった。ナチスは国民自動車を提供することで支持を得ようとしていたみたいだ。
ナチス自動車隊の総帥は国防政策的諸理由から国民自動車は前輪駆動車であってはならないという見解をもっていたらしい~仕様は軍用車輌?現在でも一般人がジープに乗っているように装備品として優れている車輌は市場でも通用する可能性がありドイツ国民車は民生品として2,000万台以上が生産されている。
暴力的なゲームとそうでないゲームがあったとして、暴力的なゲームのほうが面白いと思う人のほうが多ければ暴力的なゲームのほうが多くプレイされる。たいていの人の場合、プレイできる時間は限られているので面白いゲームをプレイしようとするだろう。成人の場合も購買力が限定されているので幾種かのゲームがあればそのプレヤーが面白いと思うゲームでプレイしようとする筈だ。だから市場で暴力的なゲームの割合が多いということは、割合としての多くの人に暴力的なゲームが好まれている可能性が高い。テレビジヨンでも暴力シーンが好まれていることを推測できる。
ドイツ連邦共和国ではポルノ事業者に対し一般の会社よりも高いレートで税金をかけている。ゲームの場合も暴力の程度によって税金をかければ、より暴力的でないゲームにプレイがシフトする可能性がある。しかし、テレビジヨンの暴力シーンに対して税金をかけたとしてもNHKが大相撲中継を行わなくなってしまうことは考えられない~そのような市場原理で暴力的なゲームをコントロールできるという現状ではないのかもしれない。